100年インタビュー企画
「私とHATGO井仙」
Interviews “HATGO ISEN and I”

代表井口が語る
これまでとこれから

代表井口

現社長の井口智裕さんに、幼い頃の思い出や「これまで」の舞台裏、そして「これから」のビジョンを語ってもらいました。

旅館に生まれ育った代表の井口智裕さん。「食住」一体の思い出にはじまり、会社を継承し「HATAGO井仙」としてリニューアルさせた経緯やその後、さらに100年後を見据えた「これから」を語ってもらいました。

「食住」が旅館とともにあった
子どもの頃

ーー幼い頃の記憶には、どんな風景がありますか?

井口智裕社長(以下井口社長) 上越新幹線が開通する前は、湯沢の駅前も静かなものでした。小5までは3階建ての「いせん旅館」に暮らし、食事はスタッフと一緒にとっていました。そのうち、新幹線の工事が始まると、杭を打つ音が毎日、鳴り響いくようになった。開通と同時に町も大きく賑やかになって。今思えば、時代の変わり目でした。

ーー「いせんビューホテル」になったのは新幹線の開通の少し前ですね?

井口社長 3年前です。鉄筋4階建てのホテルになって、私自身は、同時に建てた隣の家に自分の部屋ができた。うれしくもありましたが、寂しさの方が勝った。だから夕飯は食堂に食べにいったりして。個室に一人でいるより旅館にいた方が楽しかったし落ち着いた。

ーー井口社長にとっての原風景は、旅館とともにあった。

井口社長 生活と旅館が混然としながら一緒になって、毎日がお祭りみたいだった。時に、お客さんと一緒にスキーに行ったりもしましたね。高校になると、今度は「ビューホテルいせん」でアルバイト。友だちにも声をかけて住み込みで。料理場の補助や掃除。バブル景気に湧いていた頃ですからね、とにかく忙しくて騒々しかった。

ーーその後、経営を学ぶためにアメリカの大学に入学。戻ってきたのが?

井口社長 1995年です。本当はすぐ大学に戻って経営の勉強を続けるつもりでした。でも、数字を見たら大変なことになっていて。世はスキーブームも終わって景気は右肩下がりでしたからね。「これは何とかしないといけない」と思って父に直接掛け合って、入社しました。

ーー何から手をつけましたか?

井口社長 旅行代理店に営業に行ったり、ミステリーツアーとか独自にイベントを企画したり。いずれも相手にされなかったりと、後に続かなかった。ただ同級会プランは当たりました。父が始めていたプランを、幹事の代行役も含めてすべて請け負うようにした。案内ハガキの発送にはじまり出欠の取りまとめ、当日の写真撮影も。料理はお任せで飲み放題、今でいうオールインクルーシブをシステム化し、これを平日1万5000円、土曜は1万8000円と割安で売った。10年で800件は請け負ったと思いますし、実際に会社は起死回生した。ただ自分の中には「このままでいいわけはない」という気持ちがありました。

ーーなぜですか?

井口社長 簡単に真似できますからね。実際、このプラットフォームは今でも活用されています。でも、5年後10年後を考えたら、頭打ちになると思った。それで密かにもう一つの事業計画を練り始めました。

ーーそれが「HATAGO井仙」に?

井口社長 まず「旅籠」を紐解いてみたんです。温泉旅館の歴史は100年くらいですが、街道筋にあった旅籠は数百年の歴史がある。そして宿には、旅人が日本各地からいろいろな情報が持ち込まれた、いわば情報のインフラです。そんな情報サーバーとしての機能をもう一度持たせつつ、同時に地域を発信する場にしていこうと。そこで「地域のショールーム」というテーマも掲げました。

ーー4代目を継承したのはその頃ですね?

井口社長 会長に、2つの事業計画を提示しました。一つはビューホテルいせんの同級会プランを引き継ぐもの。もう一つはHATAGO井仙として生まれ変わらせるもの。前者は数年後にリスクがあるが、後者にはもっと大きなリスクがある。ただ大化けするかもしれないと。同時に、もし後者のプランを受け入れてくれるなら、社長を譲ってほしいと。

ーーHATAGO井仙プランが受け入れられて、今があるということですね。

井口社長 この8月、社長に就任してちょうど20年になります。「HATAGO井仙」としてリニューアルオープンのが2カ月後の10月7日。井仙として100年目の今年は、リニューアルの節目でもあります。

地域のショールームとして
「HATAGO井仙」発進

ーー「HATAGO井仙」になってまず何をしましたか?

井口社長 外部スタッフとともに商品のロゴ、ラインナップを一つ一つ考え直していきました。いわゆるいわゆるブランディングです。「シンプルにソリッドに」という方向性が示されました。私自身は「もっとキラキラさせたい」と思っていましたが、「価値はそこじゃない」と学んだ。これが後々の「雪国観光圏」のブランディングにつながりました。

ーーブランディングは会社の内部についても行ったとか?

井口社長 外への発信、見え方を考え直す作業は、「井仙の価値って何だろう」と改めて考えるきっかけになりました。実は「HATAGO井仙」リニューアルオープンの前は、「いけいけ」とばかりに調子良く前進していましたが、オープンしてみるとクレームの山。部屋が暗いとか、「"魚沼キュイジーヌ むらんごっつぉ"って名前なら菜っぱを出すのか?」とか。社員も振り回されたんでしょう、辞める人が多く、これははっきりと言葉にして理念を共有しなくてはいけないと。それで、少し前に掲げていた「三輪」の考えを整理して明文化し、これを軸にあらゆる活動をしていくことにしました。

ーー魚沼の米農家や酒蔵、味噌屋さんらとのコラボレーションもその一つですね?

井口社長 地域のショルームとして地域とつながりながら、旅館としては「使い方をシンプルに」「機能を特化させせよう」としました。例えば「一泊二食付き」という縛りを取り払って、夕飯を自由に外で食べてもらうようにしたり、部屋での過ごし方をお客さんに任せつつ、さまざまな時間を提供できるようにしたり。忘れられないのは「HATAGO井仙」としてオープンしてすぐにいらした品のいい初老のご夫婦。ロビーで流していたビル・エバンスを「いいですね」と言ってくださり、夕飯は二人で外にでられた。「客が変われば宿は変わる」と勇気づけられたことを覚えています。

ーーその手応えは年々、確かなものになっていくわけですね?

井口社長 8年後には、同級会の宴会場として残していた別棟を、露天風呂付きの和室「SAKURA」にリニューアルし、きっぱり同級会を辞めました。それまでは冬はスキースノボ客、6月前後は同級会で動かしていて、これが経営上とても良かったのでなかなか辞められなかったんですが、思い切りました。同様に、その後経営を引き継いだ「ryugon」でも、囲碁や将棋の会場としての"龍言"、昔懐かしい庄屋の宿、といった機能や趣を取り払って、モダンで知的な宿に生まれ変わらせました。

ーー両輪は結局だめになると。それは「振り切って一つを選び取らなければ会社としての現在もない」とも聞こえます。

井口社長 100年の間には乗っ取られ事件もあった。大手術をしなければ、井仙も駅前ビジネスホテルのままだったでしょう。100年続いたのは、思い切った決断をし、大胆な改革があったからこそです。

雪国を循環させ、再生する
地域のリジェネラティブへ

ーーこれからの100年、井口さんにはどう見えていますか?

井口社長 まず考えるのは「100年後の旅の形はいったいどうなっているんだろう」ということ。例えば自動運転が進めば、寝ながら移動できて宿は要らなくなるかもしれない。あるいは。そもそも旅に出かけることなくヴァーチャルになるかもしれない。そんな時代に「お金をかけてわざわざ訪れたくなる価値って何だろう」と。きれいな景色、おいしいもの、贅沢なものではなく、もっと本質的なものが価値になるのではないか。

ーー具体的にはどんなものでしょう。

井口社長 一言で言えば「未知との遭遇」。既知のものとはヴァーチャルで出合える。ただ、想像もしなかったことには、足を運ばなければ出合えない。いかに未知なものに価値をつけられるかが課題でしょうし、私たちは旅そのものに価値をつけなければならない。それを突き詰めると、宿ではなくなるかもしれない。

ーー「未知との遭遇」には何が必要ですか?

井口社長 地域の価値を高めることではないでしょうか。地域を掘り起こして、本質的な「未知」を提示する。その際、もっとも大切なのは人の存在です。地域の暮らしには必ず人がいます。続けるにも守るにも、人が欠かせない。おじいちゃんおばあちゃんとの邂逅、ハートフルな触れ合い。コミュニティをつくり直して、外から来た方々に、ここにしかない暮らしを発見してもらう。アフリカに野生の動物を見に行くツアーがあるように、ここでは雪国魚沼の昔ながらの暮らしに出合ってもらう。宿泊税は田んぼや集落の維持に使っていく。

ーー住んでいる人にとってはあたりまえの風景や日常だけれども、外からの目線で見れば、それこそが価値だと。

井口社長 雪国には独自の風景があり食文化があり暮らしがある。それらが地域に改めて共有されれば、誇りになるし価値になる。「HATAGO井仙」を発進させた時は「地域のショールーム」をキーワードにしましたが、100年後を見据えて今思うのは、一方的な発信ではなく双方向に影響し合い、作用し合いながら地域を持続させていくこと。環境やシステムを再生させる「リジェネラティブ(regenerative)」という言葉がありますが、それに近いかもしれない。雪国を循環させ再生する「スノー・リジェネラティブ」が「これから」に向けたキーワードですね。