100年インタビュー企画
「私とHATGO井仙」
Interviews “HATGO ISEN and I”

[私と井仙]
お得意様編

井仙はたくさんのお客さまに支えられてきました。長年にわたって足繁く通ってくださっている3人に、思い出を語ってもらいました。

「井口家は家族、井仙はふるさとだから」
田島 敏男さん

井口家に出会って70年近くになります。二代目の真司さんと父が知り合いだったことから、物心ついた頃からお正月といえば「いせん旅館」で過ごすのがお決まりでした。小中学生の頃は、井口家に泊めてもらって石打スキー場に通ったことも。会長のお母さんには、母のように接してもらいましたし、会長の智晴さんのことは「大きいともちゃん」、「味処ささ」の大将のことは「小さいともちゃん」と呼んでね、それこそ兄弟みたいに育った。スキーもよく一緒に行きましたし、幼い頃は小さいともちゃんの脚の間に挟んでもらって滑ったこともいい思い出です。
 最近は年に1,2回泊まりにいって、行けば必ず大きいともちゃんと「味処ささ」に行き、小さいともちゃんとも話しながら、飲んで食べる。もうねえ、家族みたいなものなんです。井仙はふるさと。実家に帰ったような気がしてほっとするのも、あたりまえのことです。今は智裕さんががんばって新しいことをやって新しい時代をつくっている。これまで、いろいろ大変なこともありながらもここまで歴史を築いてきたのだから、いつまでもみんながホッとする、そんなお宿であってほしいですね。

田島 敏男さん

「ずっと変わらない、居心地の良さをこれからも」
鈴木 浩次さん

井仙に泊まるようになったのは30年ほど前。「湯沢ビューホテルいせん」の頃で、所属している「アンテロープ スキークラブ」が活動場所を湯沢のスキー場に定めたのがきっかけでした。年を重ねてメンバーは減ってきていますが、年に2回は泊まって、滑りに行っています。初めて泊まった時の印象は「とにかく食事がおいしい」。量が多くて豪勢で、時には、今の大女将さんが漬けたたくわんを出してくださった。リニューアルしてHATAGO井仙になってどんどん変わっていったけれど、スタッフの方は変わらず良くしてくださる。ほどよい距離感で親しさもあって。だからずっと居心地がいい。
 部屋は、大人数で泊まれる「奥座敷 桜」を利用させてもらっています。いつだったか、TV番組「カンブリア宮殿」の撮影が入っていて、「奥座敷 桜」の露天風呂に入っているところを撮ってもらったのもいい思い出です。
 いつまで行けるかなとも思いますが、できるだけ参加してスキーを楽しみたい。井仙さんには、これからもますます良くなるように続けていってもらいたいですね。

鈴木 浩次さん

「『ただいま』と帰るような場所に」
大利 ファビオ 広明さん 雅代さん

思い返したら、初めてHATAGO井仙に泊まったのは東日本大震災が起きたまさにその日でした。高速は通行止め、新幹線も止まってすべてが混乱していたことを覚えています。あれから14年。年に1、2回、妻とスノボに行く時には必ず泊まっています。最近は妻が「ただいま」と少しふざけて入るくらい、皆さんと近しくなりました。5,6年ほど前でしょうか。ランチのコースのデザートプレートに、妻が「おいしかった。ありがとうございました」とチョコレートで書いたのをきっかけでした。行くたびに親しく話をしたり、食事時には魚沼の食材のことを聞いたりして、料理への思いも深まりました。
 特に印象的なのはご飯です。最初に食べた時は衝撃でした。家でも再現したくて同じお米を買って帰りましたが、まったく違う。次の滞在でそれを話すと、料理長から「水や炊き方も大事です」と。そこで水も買って帰り、土鍋も似たようなものを買ってとうとう井仙の味が再現できるようになりました。
 妻も私も、井仙をとても大切に感じています。変わらずあり続けてほしいし、スタッフの方々には健康でいてほしい。こちらも健康でいて、井仙に通い続けたいですね。

大利 ファビオ 広明さん 雅代さん