「私とHATGO井仙」
Interviews “HATGO ISEN and I”
[私と井仙]
地域のパートナー編
20年以上「地域とともに」を掲げてきた井仙。「むらんごっつぉ」「水屋」では地域の食材を積極的に使い、「んまや」では地域の作り手たちとのコラボ商品を販売しています。理念である「三輪」の一つの輪として関わってくださっている方々に、お話をうかがいました。
「"新潟の魅力を発信 "。思いを一緒に」
長田屋商店
南雲 正幸さん

「いせん旅館」の頃から野菜を届けています。祖父にあたる先々代からと聞いているので、60年以上になりますね。小さい頃は井仙さんの裏にあった露天風呂のあたりに、よくセミ取りに行っていました。私が店を継いで40年ほど。ちょうど会長の智晴さんが「湯沢ビューホテルいせん」にした頃で、代々の板前さんにずっと贔屓にしてもらい、智裕さんが社長を継いでからは「県内産の野菜を多く」と要望され、納めるようになりました。
「和」をさらに広げて
「筋が通ってる」と思いましたね。当時は地元産にこだわっている宿は少なかった。そんな中「新潟という地域の魅力を伝えたい。地元の食材でもてなす」という智裕さんの考えは大いに共感できましたし、私自身、その一端でも担えればという気持ちでやってきました。思いは厨房にもちゃんと伝わっていて、料理長は野菜をすごく大切にしてくれる。ありがたいことです。 井仙と聞いてイメージするのは一言、「和」です。従業員や私たち出入りの業者との「和」、地域との調「和」、「和」の趣のある旅館。そしてもう一つが平和の「和」。以前、智裕さんが「考えが違っても、温泉に一緒に入ってもらえれば仲良くできるんじゃないかと思う」と言っていました。いろんな「和」を、これからもどんどん広げていってほしいですね。
「ともに100年。よくやってきた」
寺口 武さん

井仙さんが旅館を駅の東口に開く少し前、うちも父が肉屋を始めたそうです。新幹線が開通する前のこと。駅の出口は東側にしかなくて、冬になると人力のソリで人を運んでいた、井仙さんが西口に移って「いせん旅館」になってからは、よく店の使いで肉を納めました。温泉通りには置き屋があって、夕暮れになると芸者さんが行き来しててね。少し高いところにあった「いせん旅館」に明かりが灯ると、「宴会が始まるな」と思った。マフラーや綿入り半纏を羽織った芸者さんの姿とともに、そんな風景を今でも覚えています。
「持ちつ持たれつ」これからも
会長の智晴さんとは同い年で、中学時代は同じ卓球部。彼はスキーもだけどスポーツ万能でね、明朗活発。社長の智裕さんの活動的なところと重なりますね。あと、今の大女将や智晴さんのお母さんであるおばあちゃんがとっても社交的で働き者。朗らかに旅館や地元を盛り上げていました。二人の力も大きいですね。
片や旅館、片や小売の業者。業種こそ違うけれども「いろいろやりくりしながら、何とかここまでやってきた」、そんな同志のような思いが強くあります。実際、私が修業を終えて家業に入った60年前とは、湯沢も旅館も大きく変わった。私自身は、店から一歩退きましたが、これからも町の観光に協力したいし、井仙さんとは持ちつ持たれつやっていきたいと思っています。